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ソーシャルシリアスゲーム: 2rot13

Social Serious Game: 2rot13 この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには関係ありません。

「フェネックやめるのだ!」って、ターちゃんだと思ってた。ジャングルだし。

フェネックやめるのだ!」って、ターちゃんだと思ってた。ジャングルだし。誰でも考えそうだなと思って検索したけれど、意外に見つからなかった。世代なんだろうか。そうでもないような気がするけれど。

僕の本棚には馬鹿みたいに沢山の本が並んでいて、それでもそれはあらゆる本の中のごくごく一部でしかない。大変な数の本が毎日発行されて、その総数はずっと増え続ける。ほとんどは、暇つぶしや、幻想の共有や、現実逃避や、一瞬の知識欲の充足や、そういったものの為に印刷され、読む人の時間を消費する。情報は印刷物だけではなくて、映像や、ブログや、ニュース記事や、ありとあらゆるところで新しく共有される。僕は、今日一日で清算された全ての情報を、一生かけても通して読むことはできない。そういうのは、スノーボードやサーフィンと似ている。

スノーボードやサーフィンのコツは、外部の力で自分がある方向に移動していて、自分はその大きな力に、ほんの少し小さな力を加えることができるに過ぎないと理解することだ。完全にコントロールすることはできないということを受け入れることだ。空手や、柔道や、登山や、ボルダリングや、球技や、射撃とは全く違う。大きな力に、ほんの少し自分の力を加えて、方向をコントロールする。そこには、自分では出力することのできない力による楽しさがあり、同時に無力感がある。

世界はあまりに広くて、人はあまりに多い。多分、僕は、どこか地方都市にちょっとした家を建てて、趣味の部屋を作っていろいろ集めながら年をとって死ぬのが幸せなんだろう。或いは、どこかの島で、自給自足で暮らしながら一生を終えるのが幸せなんだろう。そういう、箱庭みたいな自分の正しいと思う閉じた世界を作って一生を終えるのが適切な生き方なんだろう。

でも僕は、今欲しいと思っているものも、手に入れたら価値を感じないということを知っている。だから僕は、たとえ適切ではなくても、自分の箱庭にものを集めて整理して生きて死ぬということを受け入れない。

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには関係ありません。