ソーシャルシリアスゲーム: 2rot13

Social Serious Game: 2rot13 この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには関係ありません。

事実は、助けてくれないし、食べさせてくれない

私は父親が教えてくれたことを反芻する。
私は完全に自由だ。
私は父親が教えてくれなかったことを考える。
完全な自由は、完全な虚無と隣り合わせだ。

宇宙に出たことのない時代があって、どうやって人が生まれるのかわからない時代があって、何故人は病気になるのか分からない時代があり、脳の仕組みが分からない時代があった。だから、その時代の人が間違っているのは仕方がない。
では、何故この現代においても宗教がなくならないんだろう。
それは、ランダムに発生する「考え」の中で、環境に適応したものが残るからだ。そこに善悪はない。ある時代において、女性を差別したほうが集団としては強かったり、マイノリティを差別したほうが集団の運営がうまくいくことがあれば、その集団が生き残る。
事実は事実としてそこにあっても、事実は、助けてくれないし、食べさせてくれない。意味のなさを受け止めて、それでもなお生きられる人は強い。でも、一生それを続けるのはとても困難だ。

精神医学では、希死念慮は病気とされ、治療の対象になる。シリアスに宗教を信じているほうがよほど幻覚妄想状態ではないかと思うけれども、死なないほうの「考え」が環境に適応したものとして残るのであればしかたない。そこに善悪はない。何にせよ、事実が辛くて見なかったことにすることで生きられるなら、目隠しは薬でも宗教でもいいということだろう。自殺願望を放置して死なせれば良いとは思わない。脳内物質の異常分泌によって人が死ぬのを放置するのは、癌を放置して死なせるようなものだ。しかし、生きてさえいればロボトミーでもいいとも思わない。何も考えることのなくなった自分は、たとえ毎日が楽しそうに見えても、哲学的ゾンビ以外の何者でもない。

それはともかく、私の前には二つの可能性がある。

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには関係ありません。